大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 平成元年(ワ)1054号 判決 1992年10月27日

原告

高取和美

被告

桐山さと子

ほか一名

主文

一  被告らは、連帯して原告に対し金四七五六万七二〇六円及びこれに対する昭和六一年一二月一一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告らの、その一を原告の各負担とする。

四  この判決は一項につき仮に執行することができる。

事実

第一双方の申立て

一  原告

1  被告らは、連帯して原告に対し金九二八九万五八九五円及びこれに対する昭和六一年一二月一一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求の趣旨

一  事故の発生

1  被告桐山さと子(以下「被告さと子」という。)は、昭和六一年一二月一一日午前八時一五分ころ、普通乗用自動車(以下「被告車」という。)を運転して川口市前川一丁目六番八号付近の信号機のない交差点(以下「本件交差点」という。)に進入した際、交差点中央部付近で折から左側から同交差点に進入してきた原告運転の普通乗用自動車(以下「原告車」という。)の右側面に被告車を衝突させた(以下「本件事故」という。)。

2  本件事故の態様

本件交差点の道路幅は、原告側が被告さと子側より広く、被告さと子側に一時停止の標識があり、原告側にはない。

原告進行の反対車線側には本件交差点付近から自動車が数台駐車しており、被告さと子進行の本件交差点手前左角の隅切り辺りにシヨベルカーがあり、被告車の前には左折車があり、これが左折するには右シヨベルカー及び右駐車車両を避けて左折する必要があり、左折車は、幾分大回りして左折して交差点内に進入し、回り込もうとする直前に停車した。

したがつて、被告さと子側からの左方の視界は、右駐車車両及び左折車両のため極めて悪かつた。

以上の状況下で、被告さと子は、左方から進行してくる原告車に注意を払うことなく、左折車両の後ろからその左折車両の後部を避けるようにふくらんで漫然と直進してしまい、衝突直前に原告車を発見したが間に合わず、原告車の右側後部ドア付近に被告車前部を衝突させた。

原告は、本件交差点に差し掛かつた際、本件交差点の右側から左折車両が進入してきて、その運転手が先に行けと合図したので注意しながら減速して進行したが、その左折車の後ろから被告車がまさか飛び出してくるとは予測できなかつた。

二  被告らの責任

被告さと子は、被告車を運転して本件交差点に進入した際、前方の左折車に気を取られて前方不注意の状態で進行した過失による民法七〇九条に基づく責任があり、被告桐山隆二は、被告車を所有し、その運行を支配していたから、自動車損害賠償保障法三条に基づく保有者責任がある。

三  本件事故による傷害

1  原告は、本件事故直後、失神し、直ちに医療法人安東病院、翌日から川口工業総合病院で治療を受けたもので、本件事故により、頭部・胸部・左肩打撲、頸椎捻挫、腰部・左下肢・左環指挫傷の各傷害を負つた。

2  原告は、昭和六一年一二月二六日ころから眼痛、視力低下等を自覚し、川口工業総合病院の眼科で治療を受けたときから現在に至るまでの治療、視力低下等の状況、カルテの記載の要旨は、次のとおりである。

昭和六一年一二月二六日 矯正視力右〇・九、左〇・九(裸眼視力右〇・〇八、左〇・〇八)

以下、単に数字を矯正視力右、左、かつこ内裸眼視力右、左の順に記載する。

同年同月二七日 〇・四、〇・四

昭和六二年一月七日 〇・二

同年一月三一日 〇・三、〇・九

同年二月二七日 〇・一、〇・八

同年三月五日 「R、黄色に見える」との記載あり。

同年同月一〇日 〇・一五、一・〇

同年同月三一日 「Lもおかしい」との記載あり。

同年四月一〇日 〇・二、〇・七

同年五月二六日 〇・一五、〇・四

同年六月八日 〇・一、〇・二

同年同月一三日 〇・二、〇・一五(〇・〇一、〇・〇三)

同年同月一六日 「R 膜がかかる」との記載あり。

同年七月一三日 前記病院の松永医師作成の後遺症障害診断書に「眼精疲労、翼状片、原因不明の視力低下」との記載あり。

同年八月一〇日 〇・二、〇・五

同年九月一日 〇・二、〇・三

同年同月一四日 〇・二、〇・五

同年一〇月二二日 〇・二、〇・七(〇・〇一、〇・〇二)

昭和六三年一月二三日から同年三月一日まで独協医科大学越谷病院で治療を受けた。

初診時カルテ 「乳頭にやや蒼白」と記載あり。〇・四、〇・七(〇・〇二、〇・〇六)

昭和六三年一月二八日 小原医師は、眼底に視神経萎縮、乳頭蒼白を認めた。

昭和六三年三月三日から川口市民病院で治療を受け、土岐医師は、視束萎縮、眼底に乳頭蒼白を認めている。

昭和六三年三月三日 〇・一五、〇・七(〇・〇二、〇・〇五)

同年同月一六日 右同

同年五月九日 〇・一五、〇・四(〇・〇二、〇・〇三)

同年六月八日 〇・二、〇・三

同年一〇月二四日 〇・一、〇・二(〇・〇二、〇・〇四)

平成元年一月六日 〇・〇八、〇・一(〇・〇一、〇・〇四)

同年二月二二日 右同

同年三月二九日 〇・〇五、〇・〇七

同年四月二四日 〇・〇六、〇・〇四

同年五月五日 〇・〇四、〇・〇五

同年七月一〇日 東京医科歯科大学眼科 〇・〇六、〇・〇六(〇・〇四、〇・〇四)

同年一〇月四日 本件訴訟提起

同年同月三一日 東京医科歯科大学眼科 〇・〇四、〇・〇三(〇・〇三、〇・〇四)

同年一一月一五日 東京医科歯科大学付属病院 n・c、〇・〇一(〇・〇二、〇・〇一)

「矯正不能、視野狭窄」の記載あり。

その後も、川口市民病院、東京医科歯科大学付属病院の診断、治療を受けている。

平成三年五月四日 (〇・〇一、〇・〇一)

平成四年三月四日 右三〇センチメートル/nol

左〇・〇一(n・c)

視野測定不能

3  原告の労災等級認定の際の診断によると、平成二年一月五日付で大宮赤十字病院が、視力矯正不能(〇・〇二、〇・〇一)、視野狭窄、眼底の視神経に萎縮を認め、半盲と診断しており、同年三月五日付前記小原医師が視力〇・〇四、〇・〇二(〇・〇一、〇・〇一)視野狭窄、眼底の視神経に萎縮を認めている。また、小原医師は、同年六月一一日付鑑定書で、視力低下の原因について、「外傷が原因と断定は困難であるが強く考えられる。視力低下は増悪する。」としており、原告に他に視神経萎縮の原因となる疾患はなかつた証言している。

原告の眼底に視神経萎縮があつたことは明らかで、川口工業総合病院の松永医師は、この視神経萎縮が視力低下等の原因であることを診断できなかつたに過ぎない。

外傷と視神経萎縮の発生機序は、頭部を強打した場合、脳圧が上昇して浮腫ができ、この脳圧を適切に下げられなかつたとき視神経を圧迫し視神経萎縮の原因となり、また、視神経そのものが骨折しているとき(視神経骨折線を発見することは困難)、視神経の走つているところが管のところで曲がつているとき、圧迫されて視神経萎縮の原因となる。

原告は、本件事故により前頭部を強打し、事故直後に一時的に失神し、また前頭部が腫れて熱を持つており、医療法人安東病院で湿布を受け、川口工業総合病院でも、眼痛と頭痛を訴えていた。

4  昭和六一年一月一八日の交通事故(以下「前回事故」という。)との因果関係について

原告は、前回事故でも頭部を打撲し、川口市民病院で診断を受けたが、視力が〇・七、〇・九(〇・〇二、〇・〇八)で、視野も異常なく、同年二月一〇日から同月二四日まで四日間しか通院せず終了し、前回事故後も車の運転をしていたし、本件事故も車の運転中であつた。本件事故後も暫くは眼に異常なく一〇日位経つてから松永医師の治療を受けるようになつたもので、初診時の矯正視力は前記のとおりほぼ正常で、その後、増悪して行つたのである。

四  損害

1  後遺症による逸失利益

原告は、本件事故により視力低下、視野障害の後遺症を残し、平成元年四月一二日、視力障害により第九級の後遺症障害の認定を受け、労働省から健康管理手帳の交付を受け、その後、更に視力低下等の障害が進行したので、再認定を受け、第三級の労災の等級認定を受けたが、右等級認定は、原告の視力が矯正可能であることを前提としているもので、現在の視力は、矯正不能状態であるから更に等級が変更される可能性があり、視神経萎縮の障害は、再生不可能であつて、原告は、現在、両眼とも完全失明の危機的状態にあり、労災の等級認定においては、両眼失明は第一級に該当する。

原告は、右後遺症により、その労働力を一〇〇パーセント喪失した。

原告は、本件事故当時、五二歳の男子で稼働しており、そのまま六七歳まで一五年間稼働できる。昭和六二年度賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計による五二歳の男子労働者の平均賃金(五五〇万五五〇〇円)を基礎とし、新ホフマン方式(係数一〇・九八一)に従い、年五パーセントの割合による中間利息を控除すると、六〇四五万五八九五円となる。

2  後遺症慰謝料

原告が右後遺症により受ける苦痛に対する慰謝料は二四〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用

原告は、本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人らに委任し、その報酬として請求金額の一割相当を下らない額を支払うことを約したから、その額は八四四万円を下らない。

第三請求原因に対する答弁

一  (本件事故の発生)

1  請求原因一の1の事実を認める。

2  同2を否認し争う。

本件交差点は、見通しの悪い交差点であり、被告さと子は、直前車に続き一時停止したうえ、左右を確認しつつ進行したが、左折車の陰から原告車が一時停止することなく急に飛び出してきた。

本件事故は、ほぼ停止していた被告車の右前部バンパー付近と原告車右側面ドア中央付近から後部にかけての接触事故であり、被告車の右前部バンパー付近に原告車が右側面ドア中央付近から後部にかけて擦りながら通過して行つたもので、原告車に進路変更等の衝撃を加えることなく通常のブレーキ操作で前方に停止した事故である。

二  同二(被告らの責任)のうち、被告さと子の過失を否認し、被告桐山隆二の法的立場を認める。

三  (本件事故による傷害)

1  同三の1のうち、原告が本件事故により原告が頸椎捻挫、腰部挫傷の各傷害を負つたことを認め、その余を否認し、同2ないし4は否認ないし知らない。

本件事故と原告の視力低下、視野傷害等との因果関係はない。

2  本件事故により原告が何らかの傷害を負つたとしても、整形外科的には医療法人安東病院一回、川口工業総合病院一四回の通院(昭和六一年一二月一一日から昭和六二年一月二九日までの五〇日間)で治癒し、右各病院では頭部打撲のことなど全く触れられておらず当然のことながら頭部については何ら検査も治療も行われておらず、原告が主張するように頭部を強打したというようなことはなかつた。

原告は、昭和六一年一月一八日にも交通事故(前回事故)に遇い、頸椎捻挫、頭部打撲、腰部打撲等の傷害を負い、当時から特に右眼について視力障害を訴えていたのであり、同年二月一〇日の時点で右内眼筋不全麻痺の罹り、そのころから顕著な視力低下をきたしていたのであり、本件事故以前から眼症状の微候は現れ治療を受けていた。

原告の本件事故直後の診断には、眼部の直接的損傷は何ら認められていないし顔面・頭皮にかすり傷一つ負つておらず、原告が失神したとか眼の周辺を打撲したとか眼鏡が壊れたこともない。

顔面・頭皮にかすり傷一つ負つていない程度の衝撃で、頭蓋内の視神経が損傷を受け萎縮するということはなく、川口工業総合病院の初診時の原告の視力は、両眼とも〇・九で、同病院の昭和六二年九月二一日付及び同年一〇月二二日付後遺症障害診断書では、視機能の器官である前眼部、中間透光体、眼底とも異常なしと診断され、脳外科的検査でも器質的損傷も認められていない。

その後、川口市民病院での昭和六三年四月二五日付及び同年一〇月二五日付後遺症障害診断書で初めて眼底に異常があるとされているが、これは、本件事故から一年四か月余を経ての所見であり、発現時期からみても、本件事故に起因するものとは考えられず因果関係はない。

四  同四(損害)の1及び2を否認し争う。

五  同五(弁護士費用)は不知。

第四抗弁

一  損害額の減額

仮に原告の眼症状について本件事故との因果関係が認められるとしても、本件事故の態様・衝撃の程度・眼の病状が本件事故前から発症していた事情等を勘案すると、原告の体質的要因あるいは前回事故の影響も加わつて現在の症状に至つたものと考えられ、公平の理念、寄与度減額、割合的因果関係(本件事故が大きい割合を占めるとは考えられないが)の認定等を根拠に損害額を減額すべきである。

二  過失相殺

既述のとおり、本件事故発生につき原告の過失は明らかであるから、過失相殺すべきである。

三  弁済

本件訴訟提起前の後遺症障害を除く通常部分に対する示談締結後、原告に支払われた補償金の総額は、九一七万八四七〇円(治療費二万二九三〇円、通院交通費二万五五三〇円、その他の雑費八万円、逸失利益九〇五万円)であり、被告は、このうち九〇五万円を原告の本件請求に対する弁済として主張する。

第五抗弁に対する答弁

一  抗弁一、二を否認する。

二  同三のうち、九〇五万円の支払いを認める。

原告の本件訴訟は、眼の傷害による長期の治療を前提として、それまでの支払いはその傷害に基づく損害として賠償されたことを前提に、後遺症障害に基づく請求を提起しているのであつて、原告の主張金額九一七万八四七〇円の中には病院への治療費等、休業損害として支払つたものも含まれているもので、そうだとすると、原告は、眼の傷害により治療ないし休業してきた損害及び慰謝料を別途に請求しなければならない。

第六証拠関係

証拠の関係は、記録中の証拠関係目録記載のとおりである。

理由

第一  請求原因について

一  請求原因一(本件事故の発生)の1の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件事故の態様

甲第七号証(書証の成立は特に問題となるものがないので、以下同様に特に説示しない。)、乙第一九ないし第二一号証、原告及び被告桐山さと子各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、本件交差点は、信号機のない見通しの悪い交差点で、その道路幅は、原告側が九メートル、被告さと子側が八メートル(本件交差点を過ぎた先は約六メートル)で本件交差点は四隅に隅切りがあり、被告さと子側に一時停止の標識があり、原告側にはないこと、原告進行の反対車線側には交差点付近から自動車が数台駐車しており、被告さと子進行の本件交差点手前左角の隅切り辺りにシヨベルカーが置いてあり、被告さと子運転の被告車の前には左折車があり、これが左折するには右シヨベルカー及び右駐車車両を避けて左折する必要があり、幾分大回りして左折して交差点内に進入し、回り込もうとする直前に停止したこと、被告さと子は、左方から進行してくる原告車に注意を払うことなく左折車両の後ろからその左折車両の後部を直進したこと、原告は、本件交差点に差し掛かつた際、右側から左折車両が進入してきて、その運転手が先に行けと合図したのでそのまま進行したこと、その直後、本件交差点中央付近で被告車の右前部バンパー付近と原告車右側面ドア中央付近とが衝突し、原告車が右側面ドア中央付近から後部にかけて凹みを生じさせながら進行し本件交差点を出た付近で停止したことを認めることができる。

三  (被告らの責任)

1  前記一及び二認定の事実によると、被告さと子は、本件交差点手前で一時停止の標識に従い一時停止したが、その後、本件交差点を進行するにあたり、前記認定の状況下において、左折車により妨げられた左方の安全を充分確認することなく進行した過失のあることが認められる。

2  被告桐山隆二のが被告車の保有者であることは、当事者間に争いがない。

四  (本件事故による傷害)

1  請求原因同三の1のうち、原告が本件事故により原告が頸椎捻挫、腰部挫傷の各傷害を負つたことは、当事者間に争いがない。

2  原告の視力低下、視野障害等の存在及び本件事故との因果関係について

甲第二ないし第九号証、第一一ないし第一三号証(枝番を含む。以下同じ。)、第一六ないし第三四号証、乙第九ないし第二四号証、第二七、第二八号証、証人小原喜隆の証言、原告及び被告桐山さと子の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、本件事故の際、一瞬ぼーとし(甲第三一号証)、直ちに医療法人安東病院、翌日から川口工業総合病院で治療を受けたもので、本件事故により、頭部・胸部・左肩打撲、頸椎捻挫、腰部・左下肢・左環指挫傷の各傷害を負つた。

(2) 原告が本件事故後、川口工業総合病院で治療中、昭和六一年一二月二六日になつて、右眼がかすむ感じがすると訴えて眼科の治療を受けてから現在に至るまでの治療、視力低下等の状況については、原告が請求原因三、2に主張するとおりである。そして、川口工業総合病院の松永医師は、原告の視力の低下は認めたものの、その原因は不明としたが、その後も視力低下の一途をたどり、独協医科大学越谷病院の小原医師は、昭和六三年一月二八日、原告の眼底に視神経萎縮、乳頭蒼白を認め、その後、原告が同年三月三日から治療を受けた川口市民病院の土岐医師も、原告の視束萎縮、眼底に乳頭蒼白を認めた。現在は、矯正不能、視野狭窄、視野測定不能の状態に至つており、両目で手を伸ばした範囲のものは存在することが確認できる程度(もつとも、原告は、運転免許は取得していたが、本来的に石原式全色盲である。)であり、原告の視力の低下は視神経萎縮に由来するものである。

(3) なお、原告の矯正視力の測定については、ある程度の原告の作為ないし測定誤差が入る余地は避けられず、例えば、昭和六一年一二月二三日(あるいは二六日)の矯正視力右〇・九、左〇・九(裸眼視力右〇・〇八、左〇・〇八)であつたのに同月二七日の矯正視力が右〇・四、左〇・四(もつとも、カルテによると、右〇・四、左一・〇または〇・六との記載もある。)というのは不自然であるし、昭和六二年一二月二〇日に原告・被告間で後遺症障害による損害を除いて示談が成立した直後の昭和六三年三月ころから矯正視力低下が顕著になつていたり、後の時点で以前よりも、かなり高い矯正視力が測定されていたりしており、また、労災保険給付の関係で傷害等級の査定について原告から不服申立てがなされていて原告において視力の低下を強調する必要があつた事情もあり、小原医師の診断の際でも、原告の受診結果には再現性(毎回同じ結果となること)がないといつた点はあるけれども、昭和六一年末のほぼ正常の視力から矯正不能の現在に至る長い経過の中での大まかな漸次視力低下の傾向を原告の作為と見ることは困難であり、また、作為であること確定するに足りる証拠もない。

3  甲第三〇、第三一、第三四号証、乙第一、第二号証、原告本人尋問の結果によると、原告は、昭和六一年一月一八日にも交通事故(前回事故)に遇い、この際は、右後ろ側面にタクシーが追突するように衝突したもので、頸椎捻挫、頭部打撲、腰部打撲等の傷害を負い、頭痛、耳鳴等のほか、同年一月二〇日ころから右眼がかすむことを訴えて右内眼筋不全麻痺の疑いありとされ、矯正視力右〇・四あるいは〇・五、左一・二を示し、担当医師において、視力低下の度合いに比し他覚的所見が少ないとしたが、同月二四日には、特に右側レンズの調整(後に、原告が本件事故後に川口工業総合病院で右眼の異常を訴えたとき、その際の担当医師は、原告の右眼には眼位異常・外斜位があると診断しており、視力の低下は調節異常によるものとしたことがある。)により矯正視力右〇・七、左一・二の視力を示し、以後、特に訴えがなく、二月二日に退院し、外科的治療も同年三月末で打切りとなつたことを認めることができる。

4  前掲各証拠によるも、原告が本件事故後、医療法人安東病院、川口工業総合病院で治療を受けた際、眼部の直接的損傷は何ら認められていないし、頭部打撲は、医療法人安藤病院では診断名とされた(甲第二号証)が、川口工業総合病院では診断名にはされず、また、頭部について格別検査も治療も行われてはいない。

原告が顔面・頭部に傷を負つたとの証拠は、医療法人安藤病院での前記診断及び原告が川口工業総合病院の医者に対し前記のように「一瞬ぼーとした」と述べていたほかは、原告本人尋問の結果部分の他はなく、眼鏡が壊れた証拠として甲第三七号証が提出されたのも本件審理の最終段階であり、昭和六二年一二月二〇日に後に発生すべき後遺症障害に基づく損害を留保してその余の全損害について成立した原告・被告間の示談の際にも話題になつていなかつたことからすると、疑念はないわけではないが、原告が頭部打撲の傷害を受け、頭がぼーとなるような衝撃を受けたことは否定できない。

5  前記原告の視力低下ないしその原因と認められる視神経(束)萎縮が原告の元々の病的体質によるとか他の原因によるものとの証拠はなく、前回事故による視力の低下については前記のとおり、レンズの調整で前記視力まで矯正されたとしても、原告の視力の五年余にわたる徐々の低下を考慮すると、前回事故と本件事故との間が一年に満たないことに照らし、視神経に作用したと認められる頭部への衝撃があつた前回事故と本件事故とのいずれが原告の視神経萎縮の原因となり、あるいはいずれがどの程度に原因となつたかは、本件証拠上は、未だ確定しがたいものというべく、したがつて、民法七一九条一項後段の趣旨に則り、被告は、損害全額について賠償義務があるというべきである。

五  損害について

1  逸失利益について

原告は、前記昭和六二年一二月二〇日に成立した示談が存在する関係上、本件訴訟においては、これを前提として、それ以後の後遺症障害に基づく逸失利益及び慰謝料を請求しているところ、逸失利益喪失を算定する際の起算日は、後遺症の固定した時点で、それ以前は休業損害というべきであるが、原告は、原告の病状が固定していないことを留保しながら、これを区別することなく本件訴訟提起時の病状を前提として逸失利益の請求をし、原告の病状がその後も進行したことを理由に労働能力喪失率を変更するという経過をたどつていることを考慮すると、原告主張の逸失利益の中には右の意味の休業損を含めて、検討することにする。

ところで、視力障害の程度は、矯正視力によるべく、また、矯正視力には作為の入る余地のあることを考慮すると、少なくとも矯正視力の最高度は正しいものと認められるから、ある時点で矯正視力が下がつても、それ以後の時点でそれよりも高い矯正視力が得られていれば、その高い矯正視力の方がその時点まで矯正視力と認めて差し支えない。

この観点から原告の矯正視力の推移を検討すると、昭和六三年一月二三日の独協医科大学越谷病院での矯正視力が右〇・四、左〇・七であり、平成元年一一月一五日の東京医科歯科大学付属病院での矯正視力が右不能、左〇・〇一である(平成二年三月五日の右〇・〇四、左〇・〇二は部分的な矯正視力であるので措く。)から、原告の視力障害は、昭和六二年末で自賠法施行令後遺症等級九級以下で労働能力喪失率は三〇パーセント、平成元年末で、両眼失明(最低、ようやく明暗を弁ずることができる程度)よりは軽いが、ほぼ同程度で前同等級二級に近く、その労働能力喪失率は、一〇〇パーセントと認め(したがつて、症状が固定したとする必要はない。)、昭和六二年末から平成元年末までの二年間の労働能力喪失率を三〇パーセントと一〇〇パーセントとの平均の六五パーセントとする。

そこで、本件事故の発生した昭和六一年一二月一一日のほぼ一年後の示談が成立した(現実には昭和六二年一二月二〇日であるが)ころからの逸失利益を計算することになる。

乙第六号証、弁論の全趣旨によると、原告は、本件事故当時、五二歳の男子で稼働していたこと、昭和六二年度賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計による五二歳の男子労働者の平均賃金が五五〇万五五〇〇円であることを認めることができる。

そこで、原告の前記示談成立時である本件事故後一年後から六七歳までの一四年間の逸失利益(前記休業損の意味を含む。)は、年五パーセントの中間利息控除につきライプニツツ係数を用いて計算すると、四八四八万九六〇八円となる。すなわち、事故後一年後からの二年間については、五五〇万五五〇〇円×一・七七〇九(二・七二三二-〇・九五二三)×〇・六五で六三三万七二九八円、その後の一二年間については、五五〇万五五〇〇円×七・六五六四(一〇・三七九六-二・七二三二)=四二一五万二三一〇円で合計四八四八万九六〇八円である。

2  後遺症慰謝料

原告が前記後遺症により受ける苦痛に対する慰謝料は、前記症状、今後更に症状が増悪する見通しもあること、また、本件事故が昭和六一年一二月一一日の事故であること等諸般の事情を考慮して、二〇〇〇万円とするのが相当である。

3  弁護士費用

被告に負担させるべき弁護士費用は、以上の認容額を考慮し、七〇〇万円と認める。

第二  抗弁について

一  被告は、原告の体質的要因あるいは前回事故の影響も加わつて現在の症状に至つたものと考えられ、公平の理念、寄与度減額、割合的因果関係の認定等を根拠に損害額を減額すべきであると主張するが、本件証拠上、本件事故と前回事故との寄与度ないし因果関係の割合は確定できず、その他については既述のとおりであるから、その主張は採用することができない。

二  過失相殺について

本件事故の態様は前記認定のとおりで、被告さと子は本件交差点の手前で一時停止の標識に従つて一時停止はしたが、左折車により左方の見通しが悪かつたのにもかかわらず、その安全を確認しなかつたもので、原告も同左折車により右方の見通しが悪く、その安全を確認しなかつたことはあるが、一時停止し、左方の安全を確認して進行すべき被告の義務は、本件交差点の手前で一旦停止した後、本件交差点に進入した場合においても依然維持されるものというべきであること、原告車及び被告車の損傷の程度やその痕跡等から衝突時の速度は原告車の方が被告車よりはあつたもの認められることその他前記認定事実の下において、原告の過失を二五パーセントと認める。

なお、過失相殺の際には、前記示談成立前に支払らわれた治療費等(証拠上、存在することが認められる。)を含む原告に生じた全損害を計上すべきであるが、原告は、後遺症障害による損害(前記意味の休業損を含む。)のみを請求し、また、被告は、次項のとおり、示談成立後の損害に対する弁済のうち後遺症障害の損害に対する弁済となる九〇五万円(額は争いがない。)のみの弁済を主張しているので、過失相殺の際に計上する損害は、既認定の七五四八万九六〇八円のみとし、これについて二五パーセントの過失相殺をすると、五六六一万七二〇六円となる。

三  弁済

前掲後遺症障害を除く通常部分に対する示談締結後、本件請求に対する弁済として認められる九〇五万円が支払われたことは、当事者間に争いがない(原告は、示談成立後は、被告において弁済の主張をしない治療費等を除き、さしたる治療行為等もないから、本件請求以外に格別の損害が更にあるとは考えにくい。)から、これを前記額から控除すると、四七五六万七二〇六円となる。

第三  よつて、原告の本件請求は、四七五六万七二〇六円及びこれに対する本件事故の日である昭和六一年一二月一一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、相当法条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎健二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例